7:00 起床
朝食を取り、朝一番でアルハンブラ宮殿に向かう。宮殿でどれだけ時間を過ごすか分からないので、その後の予定は夜のフラメンコ・ショーまで空けてある。
アルハンブラ宮殿について

1984年に世界遺産登録されたイスラム建築の最高傑作。宮殿内にイスラム文化とキリスト教文化、ルネサンス文化が混在することで知られる。
歴史的には、1230年代にムハンマド1世が建国した「ナスル朝グラナダ王国」の王宮である。1492年にグラナダ王国がカトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)に降伏したことで、イベリア半島にあった最後のイスラム王朝であるグラナダ王国は滅亡した。
一つ不思議に思うのは、なぜスペイン王国のカトリック両王が征服したイスラム王朝の宮殿を破壊しなかったのかということだ。今日の訪問を通じてその疑問を解いてみたい。
8:00 アルハンブラバス乗車
宮殿へはバスで10分。徒歩で行けないこともないが、宮殿は標高700mのサビカの丘の上にあるので、ずっと坂道を上ることになる。宮殿は広く、かなりの距離を歩くので、特に往路はバスの利用をお勧めしたい。


8:10 アルハンブラ宮殿着
入場口最寄りのバス停で下車すると、威圧感のある巨大な門。

【裁きの門】
「裁きの門」は二重の馬蹄形アーチになっており、外側のアーチにはイスラム教の5つの教え(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)を示す「手」、内側のアーチには信仰を象徴する「鍵」、その上には、グラナダ陥落後にキリスト教徒が加えた聖母子像がある。はやくも入口にイスラム教とキリスト教の象徴が「共存」している。




まだ最初の門すらくぐっていないというのに、情報量の多さに頭がクラクラし始める。
葡萄酒の門をくぐり、建物の大きさに圧倒されながら入場受付に向かう。宮殿は8時半にオープンするが、僕が持っているのは9時入場のチケット。3ヶ月前に手配した時に、すでに8時半入場のチケットは売り切れていたのだ。


曇天の下(残念)、行列に加わる。8時半になり入場が開始したので、行列について受付まで進むと、スタッフから「9時入場のチケットだから、ちょっと待っていて」と待機を指示されたが、8時45分に入場することができた(入場時にチケットとパスポートをスキャンされる)。


ナスル朝宮殿について
ナスル朝宮殿は、メスアール宮(第1の宮殿、行政・裁判)、コマレス宮(第2宮殿、外交)、ライオン宮(プライベート)の3つからなる。

メスアール宮について
メスアール宮は、イスマイール1世(在位1314–1325)の時代を起源とする、ナスル朝の政治・行政・司法のための宮殿。
【メスアールの間】
「メスアールの間」に入ると、正面の渡り廊下のようなものに違和感を覚える。これはキリスト教徒が征服後に設置した聖歌隊用のバルコニーで、「メスアールの間」自体もキリスト教の礼拝堂へと改修されたそうだ。


イスラム建築特有の精緻な漆喰装飾や幾何学模様の中に、カルロス5世(スペイン王としてはカルロス1世。ナスル朝グラナダ王国を征服したカトリック両王、イサベル1世とフェルナンド2世の孫にあたる)のモットー「PLVS VLTRA(さらに彼方へ)」のタイル装飾が「共存」している。この最初の部屋だけでも歴史と文化が交錯していることに驚く。




伝統的なイスラムの幾何学模様を用いた木組みの天井は、どこか宇宙の広がりを感じさせる。

【黄金の間】
「黄金の間」に残るオリジナルの装飾はムハンマド5世の時代のもの。

金色に彩られた木造天井から「黄金の間」と呼ばれる。この天井の土台となる木組みはイスラム建築の伝統的な木工技術によるものだが、現在目立つ金彩はナスル朝時代そのままではなく、1492年のグラナダ陥落後、カトリック両王の時代に改装・再彩色されたもの。そのため、イスラム建築の装飾の中に、カトリック両王の紋章や「くびきと矢」といったキリスト教王権の意匠が見られる。


これまでに見た「共存」を超え、この天井はイスラム文化とキリスト教文化の「融合」といってもよいのではないか。
コマレス宮について
コマレス宮はユースフ1世(在位1333–1354、イスマイール1世の息子)が築いた、ナスル朝の政治・外交の中心。
【コマレス宮の中庭】
コマレス宮の中庭に出ると、パッと視界が開けた。雲の隙間から青空が見えて、清々しい気分になる。空と水の青、雲と壁の白、宮殿の赤・茶、植栽の緑といった豊かな色彩と、水面に映り込む宮殿の姿が相まって、一分の隙もない絵画を見ているようだ。


イスラム文化において、水は生命や豊かさ、神の恵みを象徴するものとされ、楽園のイメージとも深く結びついている。


中庭を取り囲む壁を見ると、「アルハンブラの小さな鳥」と呼ばれる幾何学模様や漆喰による精巧な鍾乳石飾りなど、見どころの連続で一時も気を抜くことができない。






【大使の間】
スルタン(イスラム王朝の君主)が外国使節を迎えたコマレス宮の「大使の間」に入る。巨大な部屋の中はやけに薄暗く、目が闇に慣れるまで時間がかかる。


部屋の正面中央にある最も豪華なアルコーブ(小部屋)が、スルタンの玉座の場所だった。背後の窓から光が差し込めば、謁見に訪れた外国使節からはスルタンの姿が逆光のシルエットに見えたのではないだろうか。もしそうなら、相手に畏怖を抱かせるには十分な演出だ。

スルタンは光を背に、逆光の状態で謁見していたのかも
壁一面にはイスラム建築特有の装飾が施されている。


壁の繊細な装飾を眺めた後、ふと見上げた天井には宇宙があった。メスアールの間で見た天井にもどこか宇宙の広がりを感じたが、この天井は「宇宙そのもの」だ。直感的にそう感じる。

帰国後に調べると、この天井は七層の天を表し、その頂点には神の玉座があるというイスラム教の宇宙観を象徴しているとされる。どうやら僕の直感は概ね合っていたようだ。

ライオン宮について
「ライオン宮」は、14世紀後半にムハンマド5世(在位1354–1359、1362–1391、イスマイール1世の孫)が造営した、スルタンとその家族の私的な宮殿である。
ライオン宮に入ると、多くの観光客が幾重にも重なり、中庭にスマホを向けている。彼らが写真を撮り終えるのを待って前に進むと、イスラム建築特有の装飾を施された壁と大理石の柱の間から噴水が見えた。「ライオンの噴水」だ。


【ライオンの中庭】
コマレス宮の中庭には大きな長方形の池があったが、この中庭にはどこか愛らしいライオンの噴水がある。色彩は、宮殿の茶、大理石と雲の白、空の青と少しの緑。装飾は精緻を極めたものなのに、不思議と中庭全体にはシンプルで落ち着いた印象がある。


12頭のライオンは一頭ずつ顔つきが違うので、見ていて飽きることがない。


ライオンの噴水からは四方へ細い水路が延び、周囲の部屋と中庭を水で結んでいる。装飾にばかり目を奪われるが、アルハンブラ宮殿は水を巧みに操る建築でもある。

【諸王の間】
ライオンの中庭に面した「諸王の間」は、ムハンマド5世の時代に造られた空間である。
諸王の間に入ってまず目を奪われたのが、天井やアーチを覆う、鍾乳石のように細かく分割された立体的なムカルナス装飾。よく見ると所々に青や緑の彩色があり、これが差し色となって装飾に上品なアクセントを与えている。ここまで精緻で複雑な装飾は僕の消化能力を超えており、もはや何を表現しているのか、それすらも咀嚼できない。




部屋の奥で観光客が天井を見上げている。

何だろうと見てみると、意外なことに人物画だった。イスラム教では人物を描くことが禁じられているとばかり思っていたのに、この絵には10人のスルタン(のような人たち)が描かれている。これはどうしたことか。頭が混乱する。


この部屋にはその他に2枚の天井画があり、キリスト教圏のゴシック絵画に通じる表現で、イスラム教徒とキリスト教徒の騎士が登場する宮廷物語が描かれており、ますます混乱する。




アルハンブラ宮殿の公式解説によれば、この絵を描いたのはイスラム世界をよく知るキリスト教徒の画家たちと考えられているそうだ。絵画の様式にはイタリア的なゴシック絵画とイスラム美術が混ざっており、その背景として、カスティーリャ王ペドロ1世とナスル朝のムハンマド5世の友好関係が指摘されている。この絵が描かれた14世紀後半のイベリア半島では、イスラム教徒とキリスト教徒の間に継続的かつ濃密な交流があったのだ。
特に、イスラム教徒とキリスト教徒の騎士が同じ物語世界の登場人物として描かれている二枚の絵画は、まさにイスラム文化とキリスト教文化の「融合」の象徴といえる。当時の世界は、僕が考えていたよりもずっと複雑で、宗教の境界を越えて人や文化が行き来していたようだ。
僕にとって「諸王の間」は、自分の常識が吹っ飛ぶ「混乱の間」だった。
もしあなたがアルハンブラ宮殿を訪れる機会があれば、「上を見る」ことをお勧めする。大事なものは、いつも頭上にあるのだ。
【二姉妹の間】
「二姉妹の間」に入って目に飛び込んできたのが、鍾乳石のような「ムカルナスのドーム天井」。これまでアルハンブラ宮殿で見てきた中でもとりわけ大きく、精巧で立体的なムカルナス装飾が施されている天井だ。


この立派な天井を見た僕の貧相な第一印象は、「なんじゃ、これ?」だった。少なくとも、僕の理解を超えた何かであることは間違いない。満開の花のようにも、天井の中心から数え切れない星が放射状に流れているようにも見えるが、天井の真下から見上げると、吸い込まれるような感覚を覚えた。これはやはり、星が流れる宇宙だ(と思う)。


しばらく眺めていると、天井を取り囲む窓から太陽が差し込んできた。太陽と流れる星々、まるで立体的な天体図を見ているようだ。


太陽が照らすと、壁のタイルを彩る青や緑、黄、紫が一気に鮮やかになり、一瞬、教会のステンドグラスを見ているような錯覚を覚える。


僕がこれまで見てきた中で、これほどスケールの大きな芸術作品はなかった。
【リンダラハの展望台】
庭園と景観を望むための小部屋の前には、観光客のグループがいた。ツアーガイドが韓国語で何やら説明している。


不思議に思って奥まったところにある天井を見上げると、色ガラスの天蓋があった。アーチの手前はほぼ単色のムカルナス装飾。一方、アーチの奥には隠されたように色彩豊かな別世界が広がっていたのだ。これは意外だった。明らかにこの2つは別世界に見える。どういうことだろう。


アーチが二つの世界を隔てているようだ
帰国後に調べてみると、てっきり後世のキリスト教徒が加えたものかと思ったこの色ガラスの天蓋は、ナスル朝時代のものだという。うーん、奥深い。

天井に日が差すと、色ガラスの紫、黄、緑、赤が壁にぼんやりと映り、教会のステンドグラスのような美しさ。ナスル朝時代の人々もこのささやかな光のショーを楽しんでいたのかもしれない。


ライオン宮を出ると、渡り廊下からグラナダの街を一望できた。昨日行ったサン・ニコラス展望台や丘の上のサン・ミゲル・アルト教会が小さく見える。フラメンコを観た洞窟もどこかにあるのだろう。


ここまでイスラム建築の傑作の連続に息つく暇もなかったが、よい休憩になった。

【王の浴室】
中庭が見える通路を進むと、窓からドームのように膨らんだ屋根が見える。屋根にはいくつもの小さな窓があり、SFアニメのレトロな宇宙船のようだ。これは何だろう。


階段を下りて建物に入ると、右手に「王の浴室」があった。なるほど、先程の小窓は浴室の採光、換気用のものだったのだ。ここはナスル朝時代の王族用ハンマーム(浴室)。ローマ浴場の伝統を受け継ぐイスラム式浴場で、単に身体を洗うだけでなく、休息や社交の場でもあったという。

小窓をよく見ると、星形をしていることに気づく。薄暗い浴室の天井にいくつもの星形の光が浮かんでいる様子は、まるで小さな星空のようだ。

王の浴室がある建物を出ると、木にオレンジがなる中庭があった。


このイスラム式のアーチをくぐると、ナスル朝宮殿の見学(鑑賞ではなく、あえて見学と呼ぼう)は終わる。


【パルタル宮】
ナスル朝初期、ムハンマド3世(在位1302–1309)の時代に造られた宮殿で、アルハンブラに現存する宮殿建築としては最古級。
宮殿の前には大きな池があり、水面には青空と宮殿が映る。先程見たコマレス宮の中庭の原型のようだ。


宮殿に入ると、アルバイシンの丘と街を見渡すことができ、僕には柱廊のアーチが額縁のように見える。当時の人々も、アーチによって切り取られた景色を楽しんでいたのだろう。



王の別荘「ヘネラリフェ」へ向かう道には、糸杉やバラなどが植えられた庭園が続く。




5月の庭園の緑は濃く、様々な花が咲いている。


細長い水路や噴水が至るところにあり、歩いているだけでも気持ちがいい。


水路には睡蓮が咲き誇り、葉っぱの上にはカエルがいた。豊かな色彩と穏やかな空気。ここは楽園か。


【アルハンブラ宮殿トイレ事情】
宮殿に入ってからの4時間、ここまでトイレは見当たらなかったが、ヘネラリフェに向かう道中の広場にようやくトイレを見つけた。来訪者の多い観光地なのでもっと色々なところにトイレがあると思っていたが、そうでもないようだ。これから訪問する方には、事前にトイレの場所を確認しておくことをお勧めする。



ヘネラリフェについて
アルハンブラ宮殿の東側にある、ナスル朝の王族が休息や避暑のために利用した離宮。
ここは楽園だ。青空と白い雲、水のアーチが掛かる長方形の池、色とりどりの花々と爽やかな風。今、悪い予感は一つもない(ちょっとお腹が減ったことは除く)。それくらい楽園度が高い。


遠くに、政治・外交・王権の象徴であるコマレスの塔が見える。王宮での行政や儀式から離れ、リラックスするのにうってつけの場所だったと実感。


ヘネラリフェを出ると、しばらく上り坂が続く。驚いたことに階段の手すりが水路になっていて、澄んだ水が流れていた。「水の階段」と呼ばれる場所で、アルハンブラ宮殿とヘネラリフェを潤してきた「王の水路」の水が、今も手すりを流れているのだという。




「国を治めるには、まず水を治めよ」という古代中国の教えを思い出した。
13:00 昼食
4時間歩き通しだったので、バナナでランチ。

【サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会】
ヘネラリフェから戻る途中に教会があった。この場所にはナスル朝時代、ムハンマド3世が建てた大モスクがあったが、グラナダ陥落後に教会として利用され、その後取り壊されたそうだ。現在の教会は1618年に完成したもの。

アルハンブラ宮殿にはイスラム文化とキリスト教文化が「共存」している場所もあれば、「融合」している場所もある。そしてここでは、モスクがなくなり、その場所に教会が建てられた。
宮殿は残されたのに、モスクはなくなった。この違いは何なのだろう。
【カルロス5世宮殿】
アルハンブラ宮殿の中に、唐突に西洋建築が現れる。巨大で威圧感が凄い。

この宮殿を造らせたのは、神聖ローマ皇帝カルロス5世(スペイン王としてはカルロス1世)。ナスル朝グラナダ王国を征服したカトリック両王、イサベル1世とフェルナンド2世の孫にあたる。1526年にグラナダを訪れ、アルハンブラに滞在したカルロス5世は、ここに自らの宮殿「カルロス5世宮殿」を建てることを決めた。

これはナスル朝宮殿とはまったく異なるルネサンス様式。外から見ると巨大な四角い建物だが、中に入ると円形の中庭が現れた。巨大で威圧的な外観とは対照的に、中庭は空に向かって大きく開かれている。建物の外と中では別世界のようだ。


2階に上がることができる。




結局王宮として使われることはなかった
アルハンブラ宮殿の公式解説によれば、この宮殿には「イスラムに対するキリスト教の勝利」を象徴する意味もあったという。ナスル朝宮殿のすぐ隣に、巨大なキリスト教君主の宮殿を建てること自体が、支配者が替わったことを示すものだったのだ。
大モスクは取り壊して教会を建てた。一方、ナスル朝宮殿は残し、その隣に「キリスト教の勝利」を象徴する新しい宮殿を建てた。勝利を示したいのであれば、なぜ征服したイスラム王朝の宮殿を壊さなかったのだろう。ますます疑問は深まる。
アルカサバについて
アルハンブラ宮殿の西端にある城塞。ナスル朝を創始したムハンマド1世が13世紀に整備した、アルハンブラでも最も古い部分の一つである。




【ベラの塔】
「アルカサバ」を代表する巨大な監視塔。13世紀、ナスル朝初代君主ムハンマド1世の時代に築かれ、グラナダの街と周囲を監視する役割を担った。「ベラ」には「見張り」という意味がある。


塔の上には鐘があった。これはナスル朝時代のものではなく、グラナダ陥落後にキリスト教徒によって設置されたもの。時刻や危険などを市民に知らせるために鳴らされたという。ナスル朝が造った監視塔は、征服後も壊されず、新しい役割を与えられて使われ続けたわけだ。


遠くには、まだ雪を残したシエラ・ネバダ山脈が見える。こんな山々に囲まれた乾いた土地に、ナスル朝の人々は水を引き、「楽園」をつくった。


そして、この宮殿を潤す水は、約6km上流のダロ川から「王の水路」を使って引かれている。わずかな高低差を利用して、13世紀に水を宮殿まで運んだのだ。「国を治めるには、まず水を治めよ」と口で言うのは簡単だが、重機もなしにどうやって実現したのか。それだけでドキュメンタリー番組を1本作れそうだ。

アルハンブラ宮殿の見学もここベラの塔で終わり。冒頭の疑問、「なぜスペイン王国のカトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)が征服したイスラム王朝の宮殿を破壊しなかったのか」に戻ろう。
宮殿を訪れるまで、僕は「イスラム建築が素晴らしすぎて壊すことができなかったのだろう」と考えていた。その仮説には正しい部分もありそうだが、実際に宮殿を歩いてみて「それ程、単純な話ではない」と思うに至った。俯瞰して見れば、アルハンブラ宮殿ではイスラム文化とキリスト教文化が「混在」しているが、細かく見れば、いくつか異なる文化の重なり方があることが分かってきた。見学した順を追って整理してみよう。
- 裁きの門:征服後、イスラム教の象徴である「手」「鍵」とキリスト教の聖母子像が「共存」
- メスアールの間:征服後、ナスル朝の宮殿空間をキリスト教徒が礼拝堂として転用し、イスラム建築とキリスト教の用途・意匠が「共存」
- 黄金の間:征服後、イスラム建築にキリスト教王権の意匠が重なって「融合」
- 諸王の間:征服以前からのキリスト教圏との文化交流による「融合」
- キリスト教会:大モスクの転用と、その後の教会への「置換」
- カルロス5世宮殿:征服後、ナスル朝宮殿を壊さず、その隣にまったく異なるルネサンス宮殿を「新築」
- ベラの塔:征服後、ナスル朝の監視塔にキリスト教徒が鐘を追加した「共存」
こんな風に整理してみると、アルハンブラ宮殿は「時の支配者の意向によって姿形を変え続けた宮殿」と言えまいか。ある所では「共存」し、ある所では「融合」し、ある所では「置換」や「新築」が行われた。
また、征服以前からイスラム圏とキリスト教圏の間に文化的交流があったことは、僕にとっては目から鱗の事実だった。つまり、1492年を境にイスラム文化がキリスト教文化へと単純に入れ替わったわけではない。二つの文化は征服以前から交わり、征服後もまた別の形で重なり続けたのだ。
そう考えると、冒頭の疑問に対する僕なりの答えが見えてくる。この宮殿は、イスラム建築があまりにも素晴らしかったから、ただそのまま保存されたのではない。支配者が変わるたびに新しい役割や意味を与えられ、使われ続けたからこそ、残ったのではないか。
これは「キレイに保存された宮殿」ではなく、「変わり続けたからこそ、残った宮殿」だ。アルバイシンの街を見下ろしながら、そんなことを考えた。


グラナダの旅を始めた場所、カテドラルが遠くに見える。そしてそのカテドラルの近くには、ナスル朝を征服したカトリック両王、イサベル1世とフェルナンド2世が眠っている。

塔を下りて出口に向かうと、3つの吐水口から澄んだ水が流れ落ち、水盤の水面を揺らしている。ここでもまた水だ。そうだ、この宮殿では「水」と「宇宙」が重要なファクターだった。

再び葡萄酒の門をくぐり、出口に向かう。

裁きの門を見上げると、変わらず「手」「鍵」と聖母子像があったが、今朝とは随分違って見えた。


14:30 見学終了
結局、宮殿には6時間いたことになる。これでも足早に見学したところもあるくらいだから、夜まで予定を入れなくてよかった。満員のバスを見送り、徒歩で街に戻る。




15:00 おやつ
バルで軽食を取る。ビールのお供にしたのは、「Lomo de cerdo a la plancha(豚ロースの鉄板焼き)」。パンの上に厚めの豚ロースがのっている。塩気控え目で、あっさりした味付け。分量もおやつに丁度いい。




15:30 帰宿
朝から歩き通しだったので、いったんホテルに戻って休憩。部屋に入るとすぐに電話が鳴り、メアリーが「今、スーツケースが届いたわよ」と嬉しそうに教えてくれた。
スーツケースとは、2日ぶりの感動の再会。

アルハンブラ宮殿だけで結構な文章量になってしまったので、ここでいったん終了。スーツケースも戻ってきたところで、パート2に続く……。
フラメンコショーを観て、十字架の日のお祭りを見るPart 2はこちら↓



