抗がん剤治療開始
治療方針決定の1週間後に抗がん剤治療が始まった。通院して点滴で抗がん剤を静脈に直接投与する。同日夜から錠剤の抗がん剤の服用を開始して2週間継続、1週間休薬して「1クール」終了、というサイクル。つまり、1クールが3週間単位で、これを4回繰り返す。順調に進めば12週間(3カ月間)で終了する予定。
ちなみに、点滴治療には2時間40分程かかり、一回当たりの費用は3割負担で22,000円、2週間分の内服薬は20,000円(いずれも当時)。その44,000円に加えて診察料もかかるので、結構な出費だ。

抗がん剤治療を受けることになって心理的な変化があった。なぜか唐突に赤いものを身に着けたくなり、真っ赤なスニーカーを買った。今まで赤い靴なんて履いたことはなかったのに・・・。
調べてみると色彩心理学上、赤には「怒り、攻撃や勝利」といったイメージがあるという。赤いスニーカーを選んだのは、がん細胞を叩くためなら良い細胞まで傷つけてしまうという、理不尽な抗がん剤治療方法に憤りを感じ(怒り)、がん細胞には負けないぞ(攻撃、勝利)という深層心理の表れだったのだと思う。

第1クール、すぐに出た副作用
治療開始の翌々日から食欲不振の副作用が出始めた。緑の葉物野菜やきゅうりがやけに生臭く感じられて、食べられない。「何が食べたいのか」と自分の身体に訊いてみると、「カレーライスと揚げ物を食べたい」と答えたので、ローソンでキーマカレー弁当、カツサンドとコロッケを買ってきたら、美味しく食べることができた。
夕飯にはなんとなく食べたくなった「のり弁当」を買ってきて、残り物のコロッケと一緒に食べたが、味が少し薄く感じた。味覚障害が始まったのかもしれない。


次の日も食欲不振が続き、蕎麦屋で食べたかつ丼の味がよく分からなったが、体力を落とさないためにも、ステーキ、寿司、ラーメンなど毎日食べたいものを食べた。寿司を食べた時にはビールも飲んだが、薄い手袋をして冷たいグラスを持った。これは「手足症候群」という、手のひらや足の裏の感覚が過敏になってしまう副作用のためだ。感覚が鈍くなるケースと過敏になるケースがあり、僕の場合は感覚が過敏になった。
例えば、冷えたビールグラスを持つと、ドライアイスに素手で触ったような痛みが走った。だから、冷蔵庫の中のものを取る時も手袋をする必要があった(時々手袋をするのを忘れて冷蔵庫に手を突っ込んでしまい、「イテテテ」となった)。

そして、これだけ高カロリーなものを毎日食べていても、体重は減り続けた・・・。



「手足症候群」は手足の皮がむけたり、ただれることがあるので、その予防のために毎晩風呂上りに軟膏クリームをたっぷりと手足に塗り付けた。味覚異常も進んで、寿司屋で醤油の味がしなかった時は自分でも驚いた。
休薬期間
休薬期間には出社し、体調や治療の状況を報告して抗がん剤治療中の勤務体制を整えてもらった。まず、特例として月曜〜金曜まで在宅勤務可能にしてもらった(当時は「在宅勤務は週何日まで」という制限があった)。業務も緊急性が低くて在宅でできる内容にしてもらった(積立有給と通常の有給休暇は、すべて入院と自宅療養のために使用済みだった)。そういった配慮によって、治療中も欠勤することなく勤務を続けられた。その点は本当に会社に感謝している。
第1クールが終わる次の週がお盆と重なったため、最初の休薬期間は2週間になった(お盆は医者も休む)。休薬期間中は副作用も出なかったので、親や親戚、友達と会って食事をし、酒を飲んだ(飲酒に関しては、治療が始まる前に担当医に「お酒は飲んでも大丈夫ですか?」と訊いたら、「我慢するのがストレスになるようだったら、適量は飲んでもよい。でも、治療中は飲む気にならないと思いますけどね」と怖いことを言われた)。
第2クール
8月下旬に第2クールが始まった直後からひどい便秘の症状が出て、酸化マグネシウム製剤を服用するか、それでも改善しない場合は座薬を使ってその場を凌いだ。それまで便秘で悩んだことがなかったので、これは辛かった。便秘はすぐに治まったが、2週目には足が赤く腫れ出したので、患部に軟膏クリームをたっぷりと塗って症状を抑えた。休薬期間に入ると脹れは治まった。
副作用で一番辛かったのが、冷たいものが喉を通る時にまるで切っ先の鋭いナイフを飲み込むような痛みを感じるようになったことだ。これは「寒冷刺激」によって誘発される「末梢神経障害」と呼ばれる副作用だ。でも、外食時にはビールを飲みたいので、少しずつゆっくりと飲んでなるべく喉が痛くならない呑み方を模索した(この期に及んで、我ながらこの飲酒への執念は凄いと思う)。今まで経験したことのない体の異変に最初は戸惑ったが、これも抗がん剤が効いている証拠だと考えるようにして、その戸惑いはビールと一緒に飲み込んだ。
第3クール
第3クールが始まってすぐ、また食欲不振の症状が出た。抗がん剤はどんどん体に蓄積されていたようで、今回の食欲不振は朝食に何も食べられない程ひどかった。昼食に何か食べられるものはないかと考えていると、なぜか「フライドチキンならいけるか?いや、積極的に食べたいかも」と思った。「フライドチキンならたくさん食べられそう」と家人に言うと、すぐに雨の中を自転車で駅前まで買いに行ってくれた。家人は「たくさん食べる」の言葉に忠実に従い、なんとケンタッキー・フライド・チキンのバーレルを買ってきた!
「こんなにたくさん食べられるかな?」と思いながら一口食べてみると、スパイスと塩気が効いたチキンは人生で一番の美味さ!あまりにも美味しくて、二人でバーレル一杯のチキンを一気に食べ尽くした(家人の名誉のために言っておくと、8割方は僕が食べた)。平時ならバーレルを買うことも、それを一気食いすることも許されないので、これはこれで痛快だった。


強い副作用が出るのは決まって点滴を打った直後だったので、体調が安定しているときは、在宅勤務の合間に親と公園に出かけて散歩したり、一人で映画やライブを観て過ごした。副作用があることを除けば、至って平穏な日々だった。

第4クール
10月中旬に第4クールが終わり、CT検査を受けた。その1週間後、「再発、転移は認められない」との所見で3カ月にわたる抗がん剤治療は終了した。この時は心底ホッとした。
完治
治療が終わってからは、半年に一度CT検査を受けて再発と転移がないかをチェックした。一度内視鏡検査を受け、良性のポリープをいくつか切除してもらった。幸い、術後5年間が経過しても問題はなく、僕は晴れてがん患者ではなくなった。
最後のCT検査結果を聞きに行った際、担当医が「おめでとうございます。これで完治です」と言った。思わず「寛解ですか?」と訊き直したら、「完治」だと言う。がんは完全に治って再発の可能性がゼロになることはないと思い込んでいたので、この「完治」の言葉は嬉しかった。
その夜は家人と焼き鳥とおでんでささやかなお祝いをした。治療が始まったのは夏だったが、いつの間にかおでんが美味しい季節になっていた。もう冷たいものを飲んでも喉が痛まなかったので、ビールをたくさん飲んだ。


エピローグ
医師の宣告通り、抗がん剤治療の後遺症(足のジンジンする痛み)は、2025年の今でも続いている。その痛みにはすっかり慣れたが、痛みを感じるたびにがんになった事を思い出すので、「それもまたよし」と割り切っている。

