シティ・ポップ・ブームとフジロック出演
昨夜、渋谷Club Quattroにパーラー・グリーンズを観に行ったら、会場でアメリカ人の友人(東京在住・音楽好き)にばったり会った。彼が最近観てよかったライブを教えてくれたので、「明日は山下達郎を観るよ」と言うと「NHKホール?」とやけに詳しい。聞くと、東京公演のチケットが取れず、ライブのためだけに仙台まで行ったとのこと。さすがはキング・オブ・シティ・ポップ、世界的な人気は完全に定着したようだ。今年はフジロックに出演して若いオーディエンスを獲得したとも聞く。さて、今夜の客層はいかに?
山下達郎について
1980年代、山下達郎のアルバムを買ったことはなかった(小遣いは限られていたし、彼の曲はTV CMやラジオで聴けた)。むしろNHK FM「サウンドストリート」のDJとして親しんだ。DJ・山下達郎はオールディーズを系統立てて聴かせてくれた。スタックス、モータウン、アトランティック・レコードといったレーベル単位でソウル・ミュージックを楽しむことを教えてくれたのも彼だ。ブルー・アイド・ソウル、ドゥーワップ、フィル・スペクターなど、僕の音楽的趣味嗜好は「サウンドストリート」でできあがったと言っても過言ではない(月曜担当の佐野元春も熱心に聴いた)。10代前半の心が柔軟な頃に、良質なポピュラーミュージックに触れられたことはラッキーだった。
初めて山下のライブを観たのは2016年2月の中野サンプラザ。「音程が・・・、ピッチが・・・」というレベルではなく、歌が抜群にうまかった。中野サンプラザは長方形の縦長なホールで、反響音の少ない「デッド」な音響が特徴。1曲目の「スパークル」のギターカッティングが切れ味鋭く鳴ったのをよく覚えている。アンコールの「ライド・オン・タイム」では舞台後方に設置されたお立ち台に上り、マイクを使わずにホール全体にアカペラの歌声を響き渡らせたのが印象的だった(後にこのパフォーマンスが彼のライブの定番だと知った)。以後、’17、’18、コロナを挟んで’22、’23、’24年とライブを観続けてきた。
客層は変わったか?
結論から言うと、NHKホールの客層はこれまでと変わっていなかった。外国人の観客は数える程だったし、特に若者が増えた印象もない。これまで通り年配の観客が多く、平均年齢は高めだ。先月のオアシスの観客の大半が若者だったので、今夜もドラスティックな客層の変化があるかと思ったが、そんなことはなかった。

デビュー50周年ツアー
コンサートの前半はデビュー50周年のツアーに相応しく、デビュー年である1975年および’85、’95、’05年に発売されたシングル曲が演奏された。聴きたい曲の大半が聴けて、これだけで大満足(「世界の果てまで」は超名曲だった!)。
それにしても凄いのが、まったく衰えを知らない確かな歌声。一昨年か昨年の竹内まりあとの「夫婦放談」でも語られていたように、「デビュー以来、近年が一番声が出てる」状態が継続している(72歳・・・)。
ずっと背中を見続けてきた、親の世代に近い細野晴臣や山下達郎、兄の世代に当たる佐野元春や桑田佳祐、彼らが現役でライブを続けてくれる限り、「まだ大丈夫だ」と安心する。だからできるだけ長くこの状態が続いて欲しい。

ささやかな変化と確かなもの
以前はコンサート会場でCDやレコードを買うと貰えた直筆ミニサイン色紙がなくなって、印刷のサイン入りポスターになった。また、会場に入ってすぐに気づいたのはステージ後方のお立ち台がなくなったことだ。やはり、今夜は「ライド・オン・タイム」でマイクなしのアカペラ・パフォーマンスはなかった(以前から本人も「老人虐待だ」と言っていたから仕方がない)。
しかしながら、すでに来年のツアーも決まっていると言う(2026年は「ソロデビュー」50周年)。何としても参加したい。なぜならこの激動の時代において、山下達郎のライブは数少ない「確かなもの」の一つだから。


