パンデミックと在宅勤務
2020年3月にパンデミックが起きて在宅勤務が始まり、通勤のための3時間が空き時間になった。大腸がんになって以来よく散歩はしていたが(足の裏を刺激すると腸が活発に動くようになる)、空き時間の多くを散歩に割くようになった。無心で歩いていると意外なことを思いつくことがあるが、ある時突然「自分にはあと20数年しか余生がないかもしれない」と気付いた時には愕然とした。がんを生き延びることはできたけど、父親は74歳で亡くなっており、自分がその歳になるまであと20数年しかないのだ。父親も酒が大好きだったから、僕もその血を濃く引いているはずだ。20年前に自分が何をやっていたかを振り返れば、20年後なんてそれ程遠いことではないように思えた。
早期退職制度
マスクをするのにもすっかり慣れた頃、会社から特別な早期退職制度の案内があった。何が特別かというと、①退職金が大幅に積み増しされる、②会社が指定する期限内(数年内)ならばいつでも希望するタイミングで辞めてよい点だ。
僕の年齢で早期退職した場合、積み増しされる退職金は「基本給 × 5年」分。破格の積み増しだ。当然5年間のボーナス相当分は支給されないが、退職金の所得税率は通常の給与所得よりも低いので、このまま5年間働き続けて得る給与金額と、手取りベースではそれほど大差はないかもしれない。
「期限内であれば、いつでも好きな時に退職してよい」という点も魅力的だ。あと2年間働けば大腸がんの手術から5年が経過して「完治」したことになり、同時に勤続30周年を迎えるので、人生の大きな区切りとしては最適なタイミングだ。
ファイナンシャルプランナー
家人と僕は共働きで、住宅ローンを完済した10年程前から月給の一定額を銀行に預けていた(2人とも仕事が忙しくてお金を使う暇もなかった)。ハムスターがヒマワリの種をおがくずの中に隠すように、我々は毎月銀行に行っては普通預金口座にせっせと給料の一部を貯めていった。当時はゼロ金利時代だったので預金元本が増えることはなかったが、10年以上も貯金を続けるとそれなりの金額になった。
しかしながら「その預金と退職金で退職後は働かずに生きていけるか」というと、大きな疑問符がついたため、すぐに早期退職に強いファイナンシャルプランナー(FP)を探してアポイントを取った。よく金融機関が無料のFPサービスを宣伝しているが、彼らの目的は自社商品の売り込み。我々の目的に沿った支援を得るべく、有償のFPと資産管理契約を結んだ。
まず我々のライフプランとともに現行資産(という程大したものではないけど)や想定退職金額、生命保険や年金の加入状況などをすべて詳細に開示し、退職後のお金の出入りや年金受給開始年齢などの前提条件を複数設定、数週間かけてシュミレーションしてもらった。
結果は「慎ましく生活すればなんとか生きていける」というものだったが、同時に「普通預金にお金を寝かせておくのはもったいないので投資すべき」と提言を受けた。
投資を始める
ずっと投資はすべきだと考えていたが、何から手を付けていいのかも分わからずに、仕事の忙しさにかまけて放置していた課題だったので、ここはFPの言う通り投資を始めてみることにした。FPから「ハイリスク・ハイリターン」「ローリスク・ローリターン」のどちらの投資スタイルがいいかを訊かれ、長期保有を前提とした「ローリスク・ローリターン(1年に1回運用状況を確認すればいいレベルの低リスク)」を選んだ。せっかく退職したのに、四六時中株価と為替をチェックするような生活を送ることは想像できなかったからだ。
投資ポートフォリオ作りは完全にFP任せで、FPの助言に従ってネット証券会社に口座を開設し、FPが選定した投資信託商品を購入して外貨建て個人年金保険に加入した。今のところ、当初設定した目標利回り率(かなり低めだが)を上回って運用できている。投資信託の中にはマイナス運用の商品も出てきたが、FPが都度その理由と今後の見通しを説明してくれて、あまり心配はなかった。期待通りのパフォーマンスを出していない商品の一部を売却し、今後成長が期待できる商品を買い増すなど、適宜ポートフォリオのメンテナンスも続けている。
早期退職制度への応募
これで退職後の金銭面の不安をある程度は払拭することができたので、早期退職制度に応募することにした。ただ、早期退職を認定される人数には上限があり、果たして自分が認定されるかどうかということが次の不安要素になった。前例がない好条件なので、多くの社員が応募することが容易に想定できたからだ。
退職
応募の2ケ月後、僕の早期退職は無事認定され、その後2年間働き続けて勤続30周年を迎えた春に退職した。その時僕は50代前半だった。想定通りの積み増し退職金が支給され、60歳の定年間近まで働いたのとほぼ同等の生涯賃金を得ることができた。母親は「がんになってこの結果なら上出来じゃない」と退職を受け入れてくれた。
30年間自分なりに必死に仕事を頑張り、がんという重い病気も経験したからには、退職後は「会いたい人に会い、行きたいところに行って、観たいものを観よう」と決めた(これがこのブログのテーマになった)。何せ僕に残された時間はあと20年しかないかもしれないのだ。「今しかない」、これはがんとパンデミックがもたらした大きな気づきだった。
音楽旅行
退職後、ヴァン・モリソンのコンサートをロンドン近郊の街まで観に行った。ダメ元で「Moondance」のレコードとサインペンを持参した。このレコードは30年前に大学の卒業旅行でロンドンを訪れた際、オックスフォード・ストリートのHMVで購入したものだ。長年夢見たライブも素晴らしかったが、現地で幸運な出会いがあり、ヴァンにサインをもらうことができた!これは30年前の自分には想像もできない快挙だ(この話はいずれブログに書きたいと思う)。
人生は何が起こるか分からない。

この旅を皮切りに「今しかない」の精神で、観たいライブがあるたびに欧州を訪れるようになった。家人とは「決して退職金には手を付けない」と約束して、今でも音楽旅行を続けている。旅の資金は、へそくりと若い頃から収集してきたレコードなどを処分して捻出した。それでも今夏の75日にわたる欧州旅行には費用が掛かり過ぎてしまい、退職金に少し手を付けてしまった。
家人にこのブログが見つかりませんように・・・。
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